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東日本大震災から3ヶ月:東北視察行軍(1) [旅]

あの未曾有の災害から早3ヶ月。
復興を妨げているとまで言われている菅政権もそろそろ終焉だろうか。

確かに震災前の生活に戻れるのはいつかいまだ見当も付かない状態だが、しかし2011年3月11日の最悪の状態から見れば、驚くほど回復は進んでいた。
隣の集落に行く事だってできなかったろう。道がどこかも分からなかったろう。水も食料も助けもいつくるか分からなかったろう。それが3ヶ月で、流された橋は渡れないが、迂回路を使えば目的の町へ行ける。なぎ倒された町の中でも道がある。ガソリンスタンド、食料品店、コンビニ、ホームセンター、スーパーは関東と変わらぬ品揃え、値段でやっている。
最初見たときの津波被害地は爆撃後のような惨状に目を覆いたくなるようだったが、目が慣れてくると実はこれでもすごい片付いているのだとわかる。2,3ヶ月前はこんなもんじゃなかったのだ。
瓦礫を前にして、むしろ負けるものかと奮い立った日本人はすごい。

避難所の中を見ることはなかったが、通過時に様子を見た限りでは、布団や洗濯物に埋もれて窮屈そうに押し込まれた閉鎖空間の方が変化に乏しそうであった。
あれなら、健康であるなら、魚の腐敗臭が漂う木っ端微塵の町で復興作業している方がいい。



では復興開始から3ヶ月目の各地の風景を記録しておく。

まずは利根川沿いに太平洋に出ようと思った。利根川沿いにはR356という幹線道路が走っていて移動しやすかったが、R356に出るまでや、無理に利根川のそばを走ろうとすると、やたらとダート走行することになる。遊んでいる場合じゃないんだが・・・。
今回の旅の友はTDR250。なのでダートを走ること自体はなんら問題ない。というかむしろ楽しい。

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利根川神崎大橋はどこか壊れたらしく現在も通行止め。復旧工事も行われていない。
利根川沿いを行くと、立派な日本瓦の家に限り瓦が崩れて、ドカシー(ブルーシート)を屋根にかぶせている家が多かった。これは福島に至るまで太平洋側でずっと続いた。

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利根川と黒部川と常盤川が合流するところの、ここは利根川と黒部川に挟まれた中州の先端。 駐車場の地面が地割れしたりデコボコしたりしていた。このように地震そのものの被害は茨城から福島にかけての方があったような気がする。


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利根川河口に到着。対岸は銚子市。銚子大橋も通行に問題なし。津波の跡もなかったが、街中に漂う変なにおいはなんだったんだろう。


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鹿島市の水路脇の道の陥没。
この先でもハデに地殻変動しているのを見たのは、東海村のテニスコートが傾いてデコボコになっているところなど何箇所かあった。

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かしまスタジアム。こんなに海に近いところだったのか。
Jリーグの試合も普通にやっている。

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大洗海岸。遠くにフェリーが見える。津波を食らったはずだが、傷跡は見られなかった。
この先も津波の跡は見られず、日立港で集積場に瓦礫の山を見たくらい。

20110608_0016s.jpg
大洗のフェリー埠頭。さんふらわあ「ふらの」が接岸していた。

この日は小名浜近くの「いわき健康センター」の仮眠施設に泊った。
夜は星がきらめく露天風呂にゆっくりと浸かったが、いまどきこの辺で露天は放射能が気になって複雑な気持ちであった。

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あかえび

波打ち際のTDRが頼もしく見えます。(^^♪
by あかえび (2011-06-17 18:49) 

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