東日本大震災から3ヶ月:東北視察行軍(3) [旅]
写真はクリックすると少し大きく見れます。
<塩釜港>
堤防を乗り越えた水の勢いで破壊されたのだろうか。
奥の建物がフェリー乗り場のマリンゲート塩釜。
船は結構無事だ。
左のスーパーの屋上から撮られた津波映像が有名。溢れ返った海が市内に流れ込んでいく映像だったが、意外と市街の建物は傾くほどの衝撃は受けてなかった。
<松島>
日本三景の松島。
松島海岸駅は海のすぐそばなのに、津波の傷跡は見られなかった。土産屋もやっているし、遊覧船も出ているし、観光客も来ていた。
<奥松島>
奥松島は松島から東へ直線5キロにある。
写真はその手前の陸前大塚辺り。海のすぐ横を走る仙石線は波を被った跡がたくさんある。傾いた電柱の向こうに見える町はここからでも異様な雰囲気であった。なぜか。それは接近してみて分かる。
鳴瀬川の河口近くの仙石線線路上に電車が放置されていた。グーグルの震災後衛星写真だと写ってないので、その後移動してきたらしい。
<石巻>
石巻港へ入る手前の運河の土手に乗り上げた漁船。
工事関係者に立入りを制限されているようだったので、この先には入らなかった。
国道398の旧北上川を渡った辺り。とたんにこの辺は海産物の腐敗臭がすごくなった。電柱に書かれた「生存名簿有」が生々しい。
どの家も大変な被害だが、ガソリンスタンドとコンビには意地になってでもやっているようであった。
ここから自衛隊車両が増えだした。
イオン石巻店の入り口に貼られた「せったい負けない!」。
あの町を見た後だからか、このときほどこの字に胸が詰まる思いをしたことがなかった。
<女川町浦宿>
<女川町>
まるで爆撃の後。絶句。
中央のコンクリートの建物は基礎ごとひっくり返って横倒しになっている。
ビルの4階を越える高さの波。そんなのが本当にあるんだ。
運河の右は瓦礫集積所。
<雄勝町分浜波板>
<雄勝町>
公民館の上に乗っかる大型バス。
雄勝町の中学校。
学校が被害を受けている様は悲しいものがある。再び子供達を受け入れるのはいつのことか。
<北上川河口>
三陸沿岸部では、山を下っていって平野部が見えてくるといつも愕然とする風景が広がりドキッとする。
国道398は新北上大橋を渡れず、北上川右岸を行く。この土手も直ったばかりだ。道はまだダートである。
<陸前戸倉>
陸前戸倉の駅より200mくらい内陸寄りの所。
海はまだずっと向こうだというのにこの惨状。津波から逃げるのは距離より高さという所以なわけだ。
気仙沼線のトンネル出口。
陸前戸倉沿岸部。
<南三陸町志津川>
志津川駅近くのスーパーの横の店。何屋だったのかさえわからない。
志津川駅近くのスーパー駐車場から海の方を見る。
ここも4階位の高さでは逃げ切れない高さの津波を食らっている。大きな建物は志津川病院など。
志津川病院には船が引っかかっている。
ここでもビルの上に車が。
<清水浜>
気仙沼線の線路。鉄道は直している気配がない。破壊されているところがあまりにも多すぎる。
奥の方に清水浜駅がある。再び開通するのはいつのことか。
<歌津>
歌津郵便局の辺りを望む。
なくなった気仙沼線の線路とやられた集落。右の山の右の方に海がある。
歌津沿岸部。激しく破壊されたR45バイパスの橋げた。
<陸前小泉>
丘が真っ二つ。
津谷川に沿った気仙沼線の高架橋はずたずた。
気仙沼線の高架橋に乗っかっているのはなんと家だ。
津谷川に虚しく残るトラックと気仙沼線の高架橋の橋げた。
<気仙沼>
大音量の音楽を流して意地になって営業している喫茶店。
その喫茶店の向かいにある、前足を引っ掛けたままの車。
気仙沼駅。こんな小さな駅だっけ。大船渡線が運行しているので営業している。
こういった谷筋は漂流物の吹き溜まりとなっているところが多い。
気仙沼線の最知駅の成れの果て。最知駅周辺は建物が多く、なぎ倒された様が痛々しい。
最知駅。ここも線路がない。
最知の海岸。駅から50mほど。
この辺にしては珍しく台風の高波を防ぐ程度の高さの堤防。低すぎて壊れてもいない。
南気仙沼魚市場近辺の様子。水産加工の拠点なだけに町に漂う臭いも濃い。
この日はキャンプ覚悟だったが雷雨の予報だったので、一人寂しくラブホに宿を取った。ビジネスホテルより快適。
<塩釜港>
堤防を乗り越えた水の勢いで破壊されたのだろうか。
奥の建物がフェリー乗り場のマリンゲート塩釜。
船は結構無事だ。
左のスーパーの屋上から撮られた津波映像が有名。溢れ返った海が市内に流れ込んでいく映像だったが、意外と市街の建物は傾くほどの衝撃は受けてなかった。
<松島>
日本三景の松島。
松島海岸駅は海のすぐそばなのに、津波の傷跡は見られなかった。土産屋もやっているし、遊覧船も出ているし、観光客も来ていた。
<奥松島>
奥松島は松島から東へ直線5キロにある。
写真はその手前の陸前大塚辺り。海のすぐ横を走る仙石線は波を被った跡がたくさんある。傾いた電柱の向こうに見える町はここからでも異様な雰囲気であった。なぜか。それは接近してみて分かる。
仙石線東名駅周辺。線路はどこへ行ってしまったのか。周りの家々もいまだに生々しい。 |
鳴瀬川の河口近くの仙石線線路上に電車が放置されていた。グーグルの震災後衛星写真だと写ってないので、その後移動してきたらしい。
<石巻>
石巻港へ入る手前の運河の土手に乗り上げた漁船。
工事関係者に立入りを制限されているようだったので、この先には入らなかった。
場違いなところに転がっているブイ。石巻港から1キロ離れた畑か田んぼの中である。畑か田んぼは泥で埋まっている。このブイはグーグルの衛星写真でも確認できるゾ。 |
国道398の旧北上川を渡った辺り。とたんにこの辺は海産物の腐敗臭がすごくなった。電柱に書かれた「生存名簿有」が生々しい。
どの家も大変な被害だが、ガソリンスタンドとコンビには意地になってでもやっているようであった。
ここから自衛隊車両が増えだした。
イオン石巻店の入り口に貼られた「せったい負けない!」。
あの町を見た後だからか、このときほどこの字に胸が詰まる思いをしたことがなかった。
<女川町浦宿>
イオン石巻店で買ったパンを食って一休みしたところ。目の前の養殖いかだが浮かぶ海は万石浦で、狭い口で海と繋がっているからか津波の被害がなかったようだ。でも桟橋は沈下して水に浸かっている。ここからたかだか500m移動しただけで、海から1.5キロも離れたところなのに津波の大被害を見ることになる。この差はいったいなんだったのか・・・。 |
<女川町>
まるで爆撃の後。絶句。
中央のコンクリートの建物は基礎ごとひっくり返って横倒しになっている。
ビルの4階を越える高さの波。そんなのが本当にあるんだ。
運河の右は瓦礫集積所。
<雄勝町分浜波板>
横に広く浸食を受けた仙台平野に対し、三陸沿岸は本当に驚愕の高さの波を全ての入り江に食らわしている。この先、低い土地で免れたところなどひとつもなかった。 |
<雄勝町>
公民館の上に乗っかる大型バス。
雄勝町の中学校。
学校が被害を受けている様は悲しいものがある。再び子供達を受け入れるのはいつのことか。
<北上川河口>
三陸沿岸部では、山を下っていって平野部が見えてくるといつも愕然とする風景が広がりドキッとする。
国道398は新北上大橋を渡れず、北上川右岸を行く。この土手も直ったばかりだ。道はまだダートである。
<陸前戸倉>
陸前戸倉の駅より200mくらい内陸寄りの所。
海はまだずっと向こうだというのにこの惨状。津波から逃げるのは距離より高さという所以なわけだ。
気仙沼線のトンネル出口。
陸前戸倉沿岸部。
<南三陸町志津川>
志津川駅近くのスーパーの横の店。何屋だったのかさえわからない。
志津川駅近くのスーパー駐車場から海の方を見る。
ここも4階位の高さでは逃げ切れない高さの津波を食らっている。大きな建物は志津川病院など。
志津川病院には船が引っかかっている。
ここでもビルの上に車が。
<清水浜>
気仙沼線の線路。鉄道は直している気配がない。破壊されているところがあまりにも多すぎる。
奥の方に清水浜駅がある。再び開通するのはいつのことか。
<歌津>
歌津郵便局の辺りを望む。
なくなった気仙沼線の線路とやられた集落。右の山の右の方に海がある。
歌津沿岸部。激しく破壊されたR45バイパスの橋げた。
<陸前小泉>
丘が真っ二つ。
津谷川に沿った気仙沼線の高架橋はずたずた。
気仙沼線の高架橋に乗っかっているのはなんと家だ。
津谷川に虚しく残るトラックと気仙沼線の高架橋の橋げた。
<気仙沼>
気仙沼の南、「お伊勢浜海水浴場」があったところ。夜再びここに来たとき、テントを張ろうかかなり迷ったが、この後雷雨の天気予報だったのでキャンプはあきらめた。 |
大音量の音楽を流して意地になって営業している喫茶店。
その喫茶店の向かいにある、前足を引っ掛けたままの車。
気仙沼駅。こんな小さな駅だっけ。大船渡線が運行しているので営業している。
こういった谷筋は漂流物の吹き溜まりとなっているところが多い。
気仙沼線の最知駅の成れの果て。最知駅周辺は建物が多く、なぎ倒された様が痛々しい。
最知駅。ここも線路がない。
最知の海岸。駅から50mほど。
この辺にしては珍しく台風の高波を防ぐ程度の高さの堤防。低すぎて壊れてもいない。
南気仙沼魚市場近辺の様子。水産加工の拠点なだけに町に漂う臭いも濃い。
この日はキャンプ覚悟だったが雷雨の予報だったので、一人寂しくラブホに宿を取った。ビジネスホテルより快適。
貴重な動画を拝見できました。
今、テレビで笑っていいとも増刊号が放送され女房が炊事の合間にみています。バラエティ番組も良いけど、各地の災害復旧状況を一日1時間程度放送すれば国民に復旧の進捗状況の遅さを周知徹底できるはず。瓦礫処理や流された自動車などの処理が終わらないと復興はありえませんね。
復興の前に復旧。自衛隊やボランティアばかりに頼ることなく民間に復旧作業させれば良いと思うのですが、復旧作業に携わる作業員は全国で募りその作業従事者を国が期間雇用する。職種も土木作業員から専門職までありとあらゆる職種を雇用し復旧を勧める。あかえびも求められるなら災害復旧の作業に従事したいと考えています。
今の菅内閣では到底無理だと思いますが。(ーー゛)
by あかえび (2011-06-19 10:49)
ども、あかえびさん。いつも見てくれてありがとうございます。(^^)/
どこの小さな入り江でも重機が動いていたりして満遍なくがんばっていいますが、大きい町では逆にあんな台数ではなかなか進まないでしょうね。でもたくさん人が集まると、宿泊・食事どころに困りそうです。やっぱり総合的に見渡せないとこういうことってできないですね。政治家の出番なんですが・・
政権が変わったらできるのだろうか。
by TSO (2011-06-20 22:34)