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東日本大震災から3ヶ月:東北視察行軍(4) [旅]

写真はクリックすると少し大きく見れます。

<気仙沼市本吉町野々下>
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一夜の宿としたモーテル。

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バイクの後ろの高台に泊ったモーテルがある。そのすぐ目の前の小さな谷には津波の流れた跡があった。畑の中には流れてきた家も。そのすぐ目の前でこういう宿をやっているんだからたいした神経である。
しかしこの宿、工事関係の人も使っていたようだ。

<陸前高田市気仙町湊>
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陸前高田の手前にある入り江。水産加工工場があったようで、谷に漂う匂いは高台に登っても変わらない。写真は国道を越えた津波が山に当たったところ。ここに限らず同じ地形のところは林の中は漂流物がひっかかってすごい。また手前の木は折れたり茶色く枯れてしまっている。





<陸前高田>


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陸前高田の気仙小学校。
3階まで津波を食らっている。現在校庭は瓦礫置き場。

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校門に立ってたであろう小学校の門柱。

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小学校前の道に停まっている警察のバス。
どうやら休憩所になっているらしい。運転席でも突っ伏して寝ていた。道路はあちこち寸断され信号も動いてないので、交代も考えると交通整理する警官も大変な人数がいる。応援は全国から来ていた。

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気仙小学校の校庭から望遠で撮った。高田松原に1本だけ残ったという有名な松だろう。

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陸前高田中井地区。 高台にある泉増寺に登って気仙川右岸を一望。この辺は畑か田んぼのようだ。


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←撮影ポイント
陸前高田の沿岸から内陸へ3キロ以上の矢作川が気仙川と合流する辺り。R340の北の方からR343の廻館橋を望む。
橋の手前には壊されたビニールハウス。橋の奥では大船渡線の破壊された鉄橋が見える。 ここまでこの破壊力を保ったままやってきたということだ。



<大船渡>
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大船渡駅の南の方の埠頭。
あれほどすごい津波映像が残っている大船渡市だが、R45を走っていると津波の被害はあまり感じられない。だが海の方へ曲がると一変する。
津波の被害は定規で線を引いたようにあるところを境に急に様変わりする。





<釜石>
この日は震災ちょうど3ヶ月目の日。
地震発生時間を釜石で迎えた。街中にサイレンが鳴り、誰もが立ち止まって、作業を止めて黙祷した。
折りしも菅首相が釜石港を訪問していた。

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釜石湾を見守る釜石観音。
しかし観音様も釜石の町を守ることはできなかった。このお金を他に使った方がよかったんだろうか。

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釜石警察署の前の堤防から港を望むと大きな船が2隻赤い船腹を見せている。
が、下の写真の船は空荷で浮き上がっているだけらしい。上の写真の船が有名なアジアシンフォニー。後で近くへ行ってみる。

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魚河岸裏の津波避難場所の高台。ここから有名な釜石の津波映像が撮られた。

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津波避難場所の高台へ登る階段のひとつ。右の陸橋はR45。
今でも階段を塞ぐようにくちゃくちゃの車が引っかかっている。津波直後は降りれなかったんじゃないだろうか。




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堤防を突き破って泊っているアジアシンフォニー。船首バルバスバウの下に停まるTDRで大きさがわかる。突き破っているように見えるが、実際は上から乗っかって堤防の形にひしゃげたようだ。


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船体は堤防の外側岸壁の上にある。
舷側水線下に扉がある。乗り上げた後、中に入るために開けたものらしい。

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スクリューまで水面上にある。もう海には浸かりたくないと言っているかのようだ。
ここへ来たとき、ちょうど菅首相が去るところで、バスから手を振っている姿を見た。



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この倉庫はアジアシンフォニーがぶつかった跡ではなかろうか。
海上保安庁が港湾合同庁舎から撮った津波映像では、アジアシンフォニーが津波に流されて釜石湾を行ったり来たりしているところが映っている。

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桟橋は海側が持ち上がっている。

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魚市場の建物。

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魚市場の中。低くなってしまったのか、水が溜まっている。

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魚市場から町中へ入る堤防を見る。
避難路の矢印は奥の山へ行けというより、上へ登れと言っているかのようだ。


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町を出るとき釜石市役所の3輪バイクがいた。ピザーラのヘルメットを被っている。
後で調べたら、バイクとメットのセットで支援物資として贈られた物のようだ。30台が寄贈されている。

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釜石の仮設住宅のひとつ。グランドに建てられているようだ。地図を見ると分かるように中心街からは相当離れている。



今回の視察も釜石を頂点とし、帰路につくことにした。
以降は戻りながら撮ったものである。


<唐丹湾>
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釜石から直線で7,8キロ南にある唐丹湾の小白浜漁港。立派な堤防は中央部が突き破られている。



<吉浜湾>
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先の唐丹湾からさらに5キロ南の吉浜。ここにもあったであろう堤防はきれいになくなって、浜まで自然に降りられるようになっていた。ここは低いところに集落はなく、低地は畑か田んぼだったようで、現在緑の草原になっている。瓦礫の散乱もなく珍しく美しい海岸と感じられた。


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R45から吉浜地区に下りるところには津波浸水想定区域の標識がある。
この標識は三陸のあちこちでみられるが、確かにほとんどの場合この標識のすぐ後ろまで津波が来ていた。平時なら「何でこんな高いところまで来るものか」と思うほど海より高いところにある。


<再び陸前高田>
往路はR340を通ったので、帰路のR45では往路に通らなかった海岸近くを見ることができた。

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写真は地図で示す高田松原第一球場前のR45から撮ったもの。グーグルの衛星写真を見ると愕然とする。海側にあったはずの陸地がなくなっているのだ。


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3階建ての高田病院合同公舎と同じ高さに積み上がった瓦礫の山。

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陸前高田中心街を望む。
畑か田んぼだったところは水が溜まったままになっている。

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気仙川河口。
3階建ての気仙中学校は津波に洗い流されて窓や内壁がなくなって校舎はまるで立体駐車場のようだ。
写真右の白い構造物は水門だが、陸地がなくなってしまったので意味がなくなってしまった。




<再び気仙沼>
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鹿折川の堤防に乗り上げる船と、手前の船は橋にぶつかっている。これらの船もグーグルの衛星写真にしっかり写っている。


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乗り上げている方の船は、このバランスを保つために支えがしてあった。

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そして有名な気仙沼の宇宙戦艦ヤマトこと第十八共徳丸。船主は海に戻すことをあきらめたそうで、このまま保存して震災の記憶を残す公園にしようという構想があるらしい。船だけでなく横の車や、周りの瓦礫の山もセットにすべきだろう。

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第十八共徳丸の近くの車の山はもうこんなに錆さびになっていた。モノは風化してしまう。こういうのを見ると震災の傷跡を保存するというのも一筋縄ではないと想像できる。


<大谷海岸~元吉町>
夕方霧が出たR45の車窓。撮影出発地は大谷海岸駅。最初ドライブイン跡だと思っていた。
津谷川左岸河口付近に出るまで(途中カットあり)。



<再び陸前小泉>
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津谷川河口付近左岸。この先のR45小泉大橋は流れてしまっているので、対岸へ行くには大回りする。

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大回りして対岸の気仙沼線高架橋を再び。19時を回り、もうすぐナイトランになる。
ここはおそらく陸前小泉駅があったところ。

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線路に上がってみた。駅があった辺りのはずだが、駅はおろか線路があったところにも見えない。


この日は夜道をひた走り、仙台で夕食を取って、福島の道の駅「安達」まで走った。
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